羊と鋼の森 読了
本の紹介
宮下 奈都 さんによる「羊と鋼の森」はピアノの調律師の話。以前に読んだ「さみしい夜のページをめくれ」にて紹介されていたため読んでみた。読んだ後に知ったことだが、映画化もされていた。読み終えた後、映画の方もしっかり見た。
心にささった文章
聞くという行為は、責任を伴う。 P7
「ホームランを狙ってはだめなんです」 P16
「知らないっていうのは、興味がないってことだから」 P32
「やわらかい音にしてほしいって言われたときも、疑わなきゃいけない。どの柔らかさを想像しているのか。必要なのはほんとうにやわらかさなのか。技術はもちろん大事だけど、まず意思の疎通だ。できるだけ具体的にどんな音がほしいのか、イメージをよく確かめたほうがいい」 P36
ほんとうにもう少しだったんだろうか。近くに見えて、きっとほんとうは果てしなく遠かったのだろうと思う。 P54ここから行くしかないではないか。何もないところから、焦らずに、こつこつと。 P58
はじめから望んでいないものをいくら取りこぼしてもつらくはない。ほんとうにつらいのは、そこにあるのに、望んでいるに自分の手には入らないことだ。 P84
「むしろ、都会の人間が飛行機に乗って、板鳥君のピアノを聴きに来ればいい、くらいに私は思っているのだがね」 P94
言葉が通じた瞬間は、光が差すような気持ちになる。 P97
森に近道はない。自分の技術を磨きながら一歩ずつ進んでいくしかない。 P121
「いいんじゃないの。怖ければ必死になるだろう。全力で腕を磨くだろ。もう少しその怖さを味わえよ。怖くて当たり前なんだよ。今、外村はものすごい勢いでいろんなことを吸収してる最中だから」 P124
「才能っていうのはさ、ものすごく好きだっていう気持ちなんじゃないか。どんなことがあっても、そこから離れられない執念とか、闘志とかそういうものと似ている何か。」 P125
人にはひとりひとり生きる場所があるように、ピアノにも一台ずつふさわしい場所があるのだと思う。 P146
「だからね、思いついたことをやってみたらいいと思うの。うまくいかなかったら、戻せばいいじゃない。和音ちゃんのピアノがもっとよくなるかもしれないでしょう」 P190
道は険しい。先が長くて自分が何をがんばればいいのかさえ見えない。最初は、意志。最後も、意志。間にあるのががんばりだったり、努力だったり、がんばりでも努力でもない何かだったりするのか。 P192
でも、「絶対」はない。「正しい」も「役に立つ」も「無駄」もない。 P197
「ピアノのあるレストランをいつか探したんだ。いいピアノがあるが料理は普通な店と、料理はとびきりうまいがぴあにが普通の店、さて、どちらを選ぶ?」P218
自信はない。だけど、真実だと思う。才能があるから生きていくんじゃない。そんなもの、あったって、なくたって、生きていくんだ。あるのかないのかわからない。そんなものにふりまわされるのはごめんだ。もっと確かなもを、この手で探り当てていくしかない。 P224
ただ増えたのは、少しの技術と、少しの経験と、あとは絶対になんとかしようという覚悟だけだ。 P234
ほんとうに和音のピアノのためを思うなら。弾く和音のことだけを考えるのでは足りない。お客さんのことも考えなければいけなかった。部屋の広さや天井の高さを考慮する必要があった。前の席と後ろの席、中央の席、扉の近く、どこにどれくらいの人が入るか、どんなふうに音が響くのか推測して、みんなに届かせなくてはいけなかった。 P239
もしかしたら、この道で間違っていないのかもしれない。時間がかかっても、まわり道になってもこの道を行けばいい。何もないと思っていた森で、なんでもないと思っていた風景の中に全てがあったのだと思う。隠されてきたのでさえなく、ただ見つけられなかっただけだ。 P242
今後の自分へ
ホームランを狙う癖がある。何がなんでも爪痕を残してやろうと、でも大事なことは一歩一歩確実に歩んでいくこと。こつこつ、こつこつと積んでいきたい。あと、言葉と頭のイメージの違いについて、確かに、と思った。やわらかいは人それぞれ違うし、明るいなんていうのも違うだろう。相手と自分の思いが繋がるように、できるだけ具体的に、さまざまな言葉を意思疎通をしていきたい。
最後に
流れで、映画まで見てしまったこの作品。小説の頭に描いていたものとは、少し違った映像であった。正直、小説の方が面白かったなという印象。まあ、そういうこともあるよね。

